それは本当に望んでいることなのか?
また寒くなってきました。
不安定な気候は体調を崩しやすくしてしまいます。朝起きたらのどが腫れていました。
皆様も体にはお気をつけ下さい。
さて、四六時中クリーニングはしていないものの、クリーニングは毎日続けております。
オポノポノを始めて一年ほど経ちました。
私が一番望んでいたことは、お店が繁盛することでしたが、経営は常に低空飛行で、何も変わりはありません。
しかし、自分の望みというものが、果たして本当に望んでいることなのだろうか?
と疑問を抱くようになりました。
お店を繁盛店にしたい。。。。。私はそれが一番の願い事だと思っていましたが、お店が毎日満席で繁盛したことを想定すると、様々な不安が発生することに気づきました。
お店が繁盛したら。。。。。以下、浮き彫りになった不安です。
・帰宅が遅くなり、通いで子供の面倒を見てくれている母親を疲労させてしまう。
・繁盛したら、毎日気を遣って大変だ。
・主人の帰宅が毎日午前3時過ぎになってしまう。
・主人が帰宅するまで起きていなくてはならない。
・自分の体がもたないのではないだろうか。
・客が増えれば増えるほど、批判も増えるのではなかろうか。
・食べログやブログで批判されることが怖い。
・主人の体が心配だ。
・毎日が時間に追われ、自分の時間がなくなってしまう。
・・・・・・ざっと簡単に挙げただけでこれだけあります。
繁盛したときのことを考えると、メリットより、デメリットのほうが先に浮かんでくるのです。
要するに、希望より、不安が自分の領域で幅をきかせてしまう。
自分が望んでいることは、期待や希望より、不安や恐怖が勝ってしまっていることに、気づいていませんでした。
このように、期待と不安の入り混じった願望は、前回の記事のカフナの言葉通りの結果となってしまうのではないか?
そして結果、カフナの言葉通り、常に安定しない経営状態となっています。
私の店は高額店ですが、主人の修行先(半年以上先まで予約が取れない)より原価率も高く質の良いものを提供していますが、価格は修行先より半額近く落としています。
もちろん、お店というのは相性もありますし、サービスなど総じての評価となりますが、どうしてこんなに不安定な経営状態なのかと不思議に思ったことは何度もあります。
自分が望んでいることを深く考え、自分の気持ちを掘り下げて探ってみると良いかもしれません。
凄い人
今日は暖かかったですね。皆様いかがお過ごしでしょうか。
今すんでいる家は、お店の開店に多額を投じてしまったので、とんでもないボロ家で、戦後のバラックのようなところです。
店の開店前にネットでみつけてここに越してきたのですが、築年数は「不明」と書かれておりました。そんなわけないだろう(笑)
それで、不動産屋に改めて築年数を問いただしてみたら、これまたのらりくらりと交わされましたので、追求を断念しました。
一軒家の2階なのですが、冬は本当に寒い。まるでシベリアです。晴天の日の昼などは、外のほうが暖かいです。
家の中で吐く息が白いって一体・・・。
さて、昨日このブログのアクセス数がとうとう300超えました。信じられません。
おそらく大した数字ではないのでしょうが、私にとってはすごい数字です。
うちのお店の食べログも、けっこうアクセス数が多いのですが、一日に何度も見ている常連のお客さんがいて、アクセス数の半分くらいはその人だと思うのですが、このブログのアクセス数もそんな感じなのでしょうか。
どのようにしろ、ありがたいです。励みになります。
何度か潜在意識について書かせていただきました。
うちの常連さんで、凄い人がいます。
職業を言ってしまうと人物がかなり絞られてしまうので書けませんが、その方は、とある職人さんす。
その道ではかなり有名な方で、頻繁に雑誌に出ておられます。
しかし、本来ならば、雑誌に載るような職業ではありません。
昔でしたら、蔑まれるような職業だったと思います。
しかしいまや、載られている雑誌はおしゃれ雑誌ばかり。
要するに、この方がその職業の底上げをされたのです。
この方は、色々な職業につかれた経験があり、一時は仕事で海外に駐在し、メイドつき、プールつきの生活をしていたそうですが、「これは自分のやりたいことではない」ときっぱりやめ、今のお仕事に就いたそうなのですが、はじめの2年はまったく軌道に乗らず、電気やガスが止められそうになったことが何度もあったそうです。
しかし、全くやめる気はなかったそうですが、そんな最悪な状況なのに「必ず雑誌に載るだろう」という<確信>をしていたそうです。
そして、昔から非常に憧れているデザイナーがヨーロッパにいて、とても会えるような人ではないはずなのに、今では顧客で年に1度は直接会われてお食事されるそうです。
その他色々お話を伺ったのですが、願い事はすべて叶えられています。
その方に見えるものは強い意志。私はその方に聞きました。
「そんなお辛い2年間を過ごされている間、今のお仕事をやめようとは思わなかったですか?」
私の質問に、間髪いれずに「一度も思ったことはありません」とお答えになりました。
ヒューレン博士は意志など必要ない、といいます。
しかし、原典ホ・オポノポノにはこう書いてありました。
ハワイのカフナが、著者に言った言葉です。
「大抵の人は、矛盾する願望や計画や不安や希望を一緒くたにして、ハイセルフに送っています。
自分のしたいこと、なりたいもの、実現させたいことを、毎日、毎時間変えているのです。
ハイセルフ(アウマクア)は睡眠中にロウセルフ(ウニヒピリ)に触れて、その平均的思いから未来を作るのですから、これでは、幸不幸や当たり外れの多い未来になってしまいます。
自分の望みを確定し、決して変えない人だけが、望みどおりの未来を生む正しい思いをハイセルフに送れるのです」
私は意志というと必ず思い浮かべる人がいます。
歌手のマドンナです。
彼女は、確か千円だか3千円だかを握り締めて、NYに行き、「神よりも有名になる」と自分に誓い、本当にそのとおりになりました。
彼女は下積み時代、強姦にあったり、さまざまな環境を切り抜けてきました。
彼女は才能があるのはもちろんですが、何より意志が強いことでも有名です。
以前、「私は世界一意志が強い人間だと思う」と言っていました。
ヒューレン博士のひたすらクリーニングし、ゼロに近づく・・・・。その理屈も納得できます。
でも、原典で言われている、意志の強さもまた、必要だとも思うのです。
この2つの考え方は、水と油で、自分の中で消化するのはとても大変です。
ポノの弊害
新年が明け、変わらずポノっています。
さしたる変化はありません。
一月、店はひどい状況です。
しかし、心は落ち着いています。
以前のように、朝目を覚まして[あぁ、今日も目を覚ましてしまった]と、目を覚まして生を確認し、落ち込むという事はなくなりました。
毎日死にたいと思っていた生活からは今のところ脱出しましたが、それがポノのおかげなのか、月日を経て、芳しくない状況にただ慣れただけなのか、私にはわかりかねます。
ポノに対しても、過剰な期待はしなくなりまた。
ポノをすることにより、表面化しないだけで、人智の及ばないところで何かが起きているかもしれないし、何も起きていないかもしれない。
私にははかりしれません。
ただ、ポノをやっていて多大な変化が見られたのが、このブログ。
始めたころは10くらいのアクセスが、今年に入って毎日ほぼ200近いアクセスがあるのです。みんなよほどヒマなのか、よほどポノに関心があるかのどちらかですね。
ポノによる変化や奇跡を報告する、とうたっているのに、まだ何もお伝えできていないのは申し訳ない限りです。
この盛況ぶりがブログではなく、お店に反映されると良いのですが。。
さて、ポノをやっているとあまり思考しなくなります。
そのせいか思考力、記憶力ともに低下している気がするのです。
このままポノを継続していって、冴え渡る思考力と記憶力を身につける事は可能なのでしょうか。。。
ウニヒピリとのかかわり方
今日はクリスマスですね。
独身の頃は、あといくつ寝るとクリスマスが来るか、とウキウキわくわくしておりました。
「何もらえるんだろ・・・♪」はっきり言って、それしかなかった(笑)
独身の頃は高価なものやブランド物を欲していましたけど、(プレゼントで安いものだと怒りさえ覚えていた)今は物欲がなくなったどころか、日本人なんだから、クリスマスなんてどうでもいいとまで思うようになりました。
子供を授かってから、どんどん物が増え、余計な物は邪魔なだけです。
人ってどこまで変わるんだろう・・・・。
さて、今月は中盤からお店は忙しくなってきました。
12月なので、偶然か、ポノ効果なのか、よくわかりません。
昔から私はホームレスの人に同情を覚えていて、よく食べ物やお金をお渡ししていました。
すると、独身の頃はフリーで仕事をしていたのですが、施しをするとなぜか仕事が増える。
最近、ホームレスの方にではないのですが、お世話になった方にお礼をする機会が増え、また、毎日子供の面倒を見ている母親にもお礼にお金を渡したりしていたのですが、そうすると予約が必ず入る。
お金って、こうして循環していくのかな、なんて思います。
話変わって、ポノではウニヒピリとの関係が非常に大切だと説いています。
しかし、ウニヒピリとのかかわり方と言っても、一体何をしていいのかわかりませんし、「ウニヒピリ」というヒューレン博士の本を読んでも、具体的なかかわり方がよくわかりません。
そこで、ヒューレン博士のDVDでウニヒピリへの接し方の一部を抜粋したものがネットで落ちていましたのでご参照に。
これをやると、なぜかすごく眠くなります。
↓↓↓
ジョー・ヴィターレとヒューレン博士が行ったセミナーの模様を収めたZero Limits Ⅲ 。その中でのヒューレン博士がウニヒピリへ話しかけている箇所。
ヒューレン博士がウニヒピリへ話しかけている部分と、セミナー受講者に対して話しかけている部分が混在していますのでウニヒピリに対して話している部分はこの色で、それ以外のところは黒で書いています。
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ウニヒピリへの語りかけ
ゆ~っくりと行ってください。あなたは今、時の始まりから今にいたるまでの歴史の中で初めてウニヒピリの存在を認識しました。
ウニヒピリに対して、「今初めてあなたの存在に気付きました。あなたが私の一部だと初めて気付きました。愛しています、愛しています。
ごめんなさい、許してください。蓄積された記憶があなたに経験させていることを。すべての記憶があなたを苦しめてきたことを。私は今私の責任に気付きました。私がすべての責任をとり、これを手放します。」
いつも必ず許可を得てください。絶対に勝手にしないでください。
「どうかあなたの頭を、気遣いと愛を持ってなでさせてください。」
ただやりなさい想像する必要はない。
「愛しています。記憶があなたに蓄積され続けたことをどうか許してください。ごめんなさい。」
この子供を認識して愛することができれば、クリーニングを教えることができるのです。髪をなでながらいいましょう。
「愛しています。私の一部でいてくれてありがとう。今までケアをしなくてごめんなさい、どうか許してください。今まで無視し続けたことを許してください。あなたをコントロールしようとしたことを許してください。
もし協力してもらえるなら○○を経験している記憶をクリーニングするのをどうか手伝ってください。私にはどの記憶かわかりません、でもあなたは知っているでしょう。
どうかアウマクアに伝えてください。ディヴィニティに記憶を消してくれるようお願いしてください。
どうかこの記憶を手放してください。」
そしてウニヒピリに聞きます。
「どうかあなたをハグさせてください。」
ぎゅっとしてはいけない、とてもやさしくしましょう。「私は子供をハグします」とただ考えるだけでいいのです。
腕の中のウニヒピリに、
「私の一部でいてくれてありがとう。愛しています。すべての蓄積されてきた記憶を許してください。今まで気付かなくてごめんなさい。あなたが経験してきた痛みや苦しみをどうか許してください。
もし私を手伝いたいと思ってくれるのなら記憶のクリーニングを手伝っていただけませんか?
これはすべてただの記憶なのです。どうかこれを手放すのを手伝ってください。これらの問題はすべて記憶の仕業なのです。起こっていることは記憶が再生しているに過ぎないのです。
あなたにお願いします、この記憶を手放しましょう。経済、お金、この土地に対して虐待してきた記憶を手放しましょう。
どうかあなたの手をやさしく握らせてください。」
そっと優しく優しくウニヒピリの手をなでてください。この子供がすべての問題を蓄積してしまっているのです。
「どうか手放してください。私の中のどこに問題があってこれが起こっているのでしょうか?
私にはどの記憶かわかりません。何か起こっているのかわかりません。でもあなたはわかるでしょう、どうか手伝っていただけませんか?
今起こっていることをクリーニングしましょう。どうかあなたの肩を抱かせてください。」
ウニヒピリの存在を認識して、
「愛しています。あなたを認識しています。私の一部でいてくれてありがとう。そう知ることができて心から嬉しいのです。時の始まりから今にいたるまでずっと認識していませんでした。
今まで傷つけてきて本当にごめんなさい。どうか無限の愛とともにあなたの肩を抱かせてください。」
もしあなたがビジネスパートナーを探しているとしたらこの母と子の関係を築くのが一番良いのです。これが何よりもすばらしいビジネスパートナーなのです。この母子の関係がうまくいけばすべてのことがうまくいきます。
「愛しています。喜んで記憶を手放してくれてありがとう。本当に感謝しています。手に手を取ってアウマクアのところへ行きましょう。」
毎朝、あるいは毎晩これを行いましょう。これを行うことでウニヒピリがあなたのパートナーになってくれるのです。
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原典ホ・オポノポノ
寒いですね。
先日、子供からロタウィルスをうつされ、おなかは下るわ、嘔吐はするわで夫婦ともども大変な目にあいました。
しかし、私も主人も一日寝て完治しました。二人して凄い回復力の持ち主です。
まるでゴキブリ夫婦です。
さて、先日は、すべては潜在意識にかかっている、という見解を記事にさせて頂きました。
私の友人で、じゃんけんで負けない人がいます。
じゃんけんに、コツも何もありません。
細かく言えばデータとか、心理的な分析等があるかもしれませんが、じゃんけん研究会などに入会している人や、じゃんけんデータを取っているような人以外は、じゃんけんはただの勘、その一言に尽きます。
「何でそんなにじゃんけんが強いのか?」とたずねたところ、「過去の実績から、絶対に負けない、という確信がある、ただそれだけ」という、ずっこけるくらい、シンプルな答えが返ってきました。
100パーセントの自信や確信。それは、顕在意識から潜在意識に強く刻み込まれた思いや絶対的な確信、これこそが人生をつかさどっていると私は思うのです。
しかし、顕在意識では自信があるように思えていても、顕在意識では気づかない部分の心の奥の奥では、弱気になっている部分があったりすると、自信の有無が混在した事象が生じるのではないだろうか?
遠い昔から、自己啓発ものには、潜在意識を活用すべし!とか、何度もアファーメーションして、潜在意識に刻み込ませよ!などなど、とにかく潜在意識についてさまざまな見解や活用法を繰り広げてきました。
アファーメーションを何度も行って、自分の希望する未来を確信付ける方法は世にたくさん出ております。
しかし、トラウマがあったり、過去の失敗の経験が根強く幅を利かせていたりして、潜在意識では、顕在意識の努力ではカバーしきれないものがあって願望が実現しなかったり、なかなかうまくいかないのではないでしょうか。
上記のような潜在意識活用法は、みょうばんを入れた水のようなもので、一見きれいな水のように見えても、揺さぶればまた水が濁ってしまう。そのようなものではないでしょうか。
その点、ポノはひたすら消去せよ、が軸になっています。というか、それに尽きるといってもいいでしょう。
しかし、先日ご紹介した原典ホ・オポノポノでは、現代のポノを否定しています。
4つのフレーズをひたすら唱えるのは、30年前に実験済みで、効果的な反面、逆効果を及ぼすことも多いのだといいます。
なぜなら、「ごめんなさい、許してください」というのは、罪悪感をインストールしてしまう完璧な方法だからだそうです。
4つのフレーズは、フナ(呪術のひみつ・奥義)の清めの一部にすぎず、フナを学ばなければ、オポノポノを学ぶことは不可能だとも言っています。
私はこの本を紹介することでマージンを頂いたりするわけではないのですが、本当にお薦めの本なので、ご興味をもたれた方はぜひご一読下さい。
この本の読者特典である12のステップはこちらです。http://www.recells.co.jp/bonus3/pono1.pdf#search='%E3%83%9B%E3%82%AA%E3%83%9D%E3%83%8E%E3%83%9D%E3%83%8E+12%E3%81%AE%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%83%E3%83%97'
この本では、自己暗示をかける方法も教えています。
しかし、他の自己暗示や潜在意識をつかった自己啓発ものと違うのは、科学的解明が下敷きになった方法論であること。
その自己暗示法は、願望成就の方法でもあるので、今のポノとは対極でなんとも難しいところですが、一見の価値はあると思います。なんていったってポノの原典なのですから。
自己暗示法マニュアルをご覧になりたい方は、ご購入くださいね。
すべては潜在意識のなせる技
前回は、
朝に魔法の言葉を500回唱え、それからポノをする、という生活を送っていましたが、この<魔法の言葉>を唱えることが、けっこうきつく、この魔法の言葉とやらを唱えるのはやめてしまいました。
何がきついのかというと、口に出してブツブツ言葉を唱えている自分を非常に馬鹿馬鹿しく感じたり、こんなに一生懸命やって、何にも効果がなかったらどうしよう、と、とても不安になってくるのです。
自分の頑張りに実がならなかったときの落胆を、人生の色んなケースで経験していますから、これ以上心に負荷をかけたくない、という気持ちがありました。
それから、魔法の言葉に関しては、とにかく怒ってはいけないとのことで、毎日仕事で主人とバトルしている私には、怒らないというのは不可能な事なのでした。
さて、ポノですが、ちゃんと続けています。
今のところさしたる効果を感じませんが、心の中で「愛しています」と唱えることは、私の中でしっかりと身についた習慣となりました。
私がなぜ、ポノをやめないのかというと、この方のブログに触発されたからです。
http://oponopono.sblo.jp/article/69028262.html?reload=2013-06-15T02:34:55
リストラ寸前だったのに、今じゃ会社でなくてはならない存在となり、様々な円滑現象を起こしていらっしゃる。この方はとにかくマントラのようにポノっているようです。
しかも、セミナーに行っていないのはもちろんのこと、ポノ関連の本は3冊しか読んでいないという(笑)
それでこの効果は凄いです。というか、だから良かったのかも、と私は思っています。
こういう方もいて、やっぱり疑問が出てくるのですが、効果がある人とない人の差は何なのか?!
常々思っていたことでしたが、私の中で確信した事があります。
それは、<すべては潜在意識にかかっている>。この一言に尽きるのではないか、と。
私はポノを始めたとき、効果を感じた人の声を聞きたくて、ネットで色々調べました。
そこには、効果がないという人もいました。
ポノの本もたくさん読みましたが、効果がないと嘆いている人の話もでてきています。
「じゃあ、絶対的なものではないんだ・・・」私の中に、ポノに対し半信半疑な気持ちが生まれ、それを覆したいがためにさらに色々調べたり、本を読んだりしましたが、効果のない人はやはり存在します。
そこで、ポノに対する効果への不安は決定的になりました。
わたしの潜在意識は、ポノは「絶対的なものではない」という強い思いが刻まれてしまいました。
前述のブログの方は、私ほど色々調べたりしていないようですし、とにかく実践あるのみでポノ生活を続けておられたようです。
このかたはとにかく念仏のようにポノっているようですが、私がウニヒピリという本を読んだ中で、ひたすら唱えても意味がない、というkR女史のコメントを読んでしまいました。
そこでまた、私の中に「念仏のごとく唱えても意味がないんだ・・・」という思いが潜在意識に刻まれるわけです。(実際は念仏のように心の中で唱えていますが)
そう、すべてはこの潜在意識が人生を決定付けているのではないか、そう思うようになってきました。
そう思っていた中、<原典ホ・オポノポノ>という本に出会いました。
ヒューレン博士は「最たる悪書、読んではいけない」などと言っておられるようですが、なんのなんの、この著者がいなければ、現在のオポノポノは存在しなかったでしょう。
この本に、潜在意識がいかに人の人生を左右するか、というより、すべては潜在意識にかかっている、というようなことも書かれており、また、潜在意識にきちんと暗示をかける方法も丁寧に教えられております。
ポノは、何も期待してはいけない、人生に計画を立ててはいけない、と言っています。
しかし、この本は違います。
少し抜粋します。
「人生についてたびたび考え、したいこと、実現させたいことを<正確に>言葉にする時間をとることが極めて大切である。感情的な人(ウニヒピリが働きすぎている人)は、計画をたびたび変更し、願いも頻繁に変えてしまうため、計画と願望と不安の入り混じった念体が生じ、ハイセルフは入り混じった未来を作らざるを得なくなる」
私はもうクセで、マントラのようにポノっていますが、この本では、4つの言葉を唱えることはしなくてもよく、読者特典の上級ホ・オポノポノ(PDF)を実行すればよいみたいです。
本にはこちらも特典の自己暗示方マニュアルもついています。
著者は自己破綻に追い込まれていた経済状況を打開し、自分の未来を変えています。
それはハワイのカフナによって癒され、導かれたようですが、一般人にも、カフナに頼らずとも、祈りの作成の方法、願いの成就のための方法をわかりやすく公開しています。
私はすぐにでも実践したいところですが、なにせ、時間がない・・・。
12のステップもまだできていません。
ポノの原点を知りたい方、ポノの効果に疑問を抱かれている方は、この本を是非読まれると良いでしょう。強くお薦めします。
記憶は巡る
ポノを休むといっておいて再開したり、有限不実行で情けない私ですが、やはりポノに戻ってしまいました。
再開して、痛感したことがあります。
今のこの私の状態は、家族の<記憶>の再生なのではないか、と。
私の家は非常に貧乏でした。
父親は働かず、常に酒を飲み母親に365日、毎日ひどい暴力を振るっていました。
母は内職をし、パートに出て大変な思いをしながら3人の子供を育てました。
私には姉がいますが、その旦那は真面目だけれど甲斐性がなく、人にだまされたり、常にお金のトラブルがつきまとい、お金に縁のない生活を送っています。
そして私。私の旦那も非常に真面目だし、働き者ですが、お金に関しては全く頼れない。私も姉も、旦那をあてにした生活ができないのです。
母も、姉も、経済的に頼れる伴侶ではない。その記憶が私にも再生しているのではないか、と。
幼少の頃の貧しさをバネにして、成功している人もたくさんいます。
しかし、経済的な事のみならず、親の人生と似た人生を送る人、または自分が嫌悪していた親の選択肢と似た選択をしていることは多々あるのではないでしょうか。
親子は長い時間を共有しているのだから、趣味嗜好、言動が似ることは仕方がないとも言えるでしょう。
しかし、その土台は<記憶>のような気がしてなりません。
ポノでも他のメソッドでもそうですが、結果が出ないと本当にめげるし、やる気がなくなります。
しかし、ポノに限っては、途中で休んでも、<とにかく続ける>ことが肝要な気がする今日この頃です。