段階
私はポノをはじめて一年ちょっと、スターターとなんら変わりはありませんが、僭越ながらポノについて私の経験を書かせていただきます。
ポノには、私の場合は段階がありました。
私は、以前は主人のことが憎くて憎くて、そして結婚への後悔が断ち切れなくて、ずっと苦しんでおりました。
ポノを始めてすぐは、自分にとって良いことが起こります。(主人への思いは変わらない)
でも、すぐに嫌な出来事が襲ってきました。
その間、主人への憎悪がマックスにいたり、怒りで絶叫したくなるほどの思いが頭を占拠します。
暇なお店への不安で毎日、鬱状態でした。
ポノによって、不安定なお店の状況をなんとかしたい。ポノにすがっていました。
ポノは休み休みでした。あまりにも心身ともに辛く、早く楽になりたくて、途中で他のメソッドに浮気なぞしながらも、ポノを断続的に続けていました。
ポノっているときは、効果を期待して、がむしゃらに念仏のようにポノっていました。
効果を期待しながらも、何の変化もないんじゃないか、、、というポノへの猜疑心と不安が募ります。
以上が第一段階です。
その後、主人への思いが緩やかに変化していきます。
それでも、時に非常に大きな憎しみが襲ってきますが、以前のように長時間続きません。
憎しみの振り子のふり幅が、小さくなっていきます。
この間、お店の状況などは、特別に変化はみられません。
しかし、お店を繁盛させたい、という強い思いと執着が薄れていきました。
以上が、第二段階です。
今現在、私は主人に心から感謝しています。
主人を大切にしようという思いが発生し(←以前はもちろん皆無だった)できるだけサポートするよう努めています。
お店は今、とても忙しいです。この状態は最近ですので、偶然かもしれません。
ウニヒピリをケアするようになりました。
今は、ポノは習慣となり、効果を望むと言うよりは、記憶を消去しているという感覚です。
第一段階では、とにかくポノによる効果を期待していましたが、神格に任せていこう、という気構えへと変化しました。
がむしゃらにクリーニングをすることはなくなりました。
出来事、物、感情、思い、それらひとつひとつ丁寧にクリーニングするようになりました。
以上が第三段階です。
ウニヒピリをケアするようになってからは、期待や希望への執着が激減しました。
ヒューレン博士が「期待がクリーニングを妨げる」と言っていましたが、
期待が薄れてから、お店が忙しくなってきたように思います。
それから、お店に毎週来られる男性のお客様がいるのですが、その方は、会社で理不尽かつ理解不能な言動をする部下に半年以上苦しめられており、鬱状態でした。
話を聞くと、それはそれはひどいものでした。
その部下は女性だったため、上層部に訴えても我慢してくれと言われたそうです。
時に、真っ青な顔で来店するので、本当に心配していたのです。
それが、ある日突然、その部下が「今まですみませんでした」と謝ってきたというのです。そのお客様が部下に何かを働きかけたわけではありません。本当に突然だったようです。
それも、第三段階で起こったことです。私の姉も、購入する家を探しており、なかなか見つからないでおりましたが、つい最近、破格の金額で購入することができました。
このように、周囲の変化もみられるようになりました。
かなさん、いつも同じことを書いて申し訳ないのですが、私も伴侶に対しかなさんと非常に近い感情をいだいていましたから(私は殺意さえありましたから、私の方が、主人への嫌悪感は大きいと思われます)心情お察しします。
私の経験の通りにクリーニングが進んでいくとは断言できませんが、例え途中でやすんでも、クリーニングを続けていくことは、とても重要だと思います。
今はお辛いでしょうが、私もそのような時期が長く続いていました。効果への不安も大きかったです。
効果への期待が薄れていくと、色々変化があるように思いますが、それも、段階です。
じゃあ効果への期待が薄れていくようにと願うかもしれませんが(^^)そう思ったら是非クリーニングしてくださいね。
ウニヒピリとの交流の仕方 その2
毎日忙しく過ごしております。
皆様、いかがお過ごしでしょうか。
前回、ウニヒピリとの交流のとり方について記事にさせて頂きました。
世の中にはウニヒピリを肉眼で見たという方もいるようですが、過去に何度も書いたとおり、私はウニヒピリを肉眼で見たり、肉声を聞いたりしたことは一度もありません。
現実的・物理的には、常に交流は一方通行です。
というのも頭の中では、ウニヒピリが返事をしてくれたり、スキンシップをとってくれたりしてくれます。しかし、これは単なる空想であるともいえます。
これが空想なのか、実際心の中では本当に交流がとれているのか、真実はわかりません。
しかし、最近、その<心の中>で色々な声をきくようになりました。
例えば、朝、毛布をたたんで押入れにいれるときに、「毛布の輪のほうを左側にして押入れにしまって」とか、靴を履こうとするとき、「右足から玄関に出て」とか、日常生活に何の影響も意味もないようなことを言われるのです。
私はなんだかよくわからんが、とにかくその通りにします。すると、続けてウニヒピリが「そうすると、今日、お客が4人来るよ」というようなことを言い、予約ゼロだった日なのに、本当に4人来たりするのです。
偶然なのかもしれません。しかし、そういうことは本当に多いです。
しかし、たまに外します。でも、外すのは確率的には10回に一回くらいのペースで、当たる(?)ことのほうが多いのです。
なので、普段の頭の中での交流が実際取れているのかいないのかは本当にわかりません。
それから、物の声?のようなものも感じるようになりました。
もちろん、肉声ではありませんが、皿を洗っているときに「シンクを磨いて!」と心の中で何かが叫ぶのです。
というと、まったくの変人、狂人です。そう、私は変人かもしれません。でも、いいんです。
とにかくその通りにします。KRさんも物と対話すると言っていましたが、彼女も物の肉声が聞こえているわけではないと思います。こうした感覚に従っているのでしょう。
ウニヒピリと交流がとれているか、真偽はわかりませんが、ウニヒピリに話しかけて、自分は何てこともないのに勝手に涙が流れたり、突如心が晴れやかになったりするときは、私の話や伝えたいことが確実にウニヒピリに伝わっていると確信しています。
以前の私は、ウニヒピリを大切にすることの大切さが、頭では理解していても腹に落ちた理解を全く得られませんでした。
ヒューレン博士の本を何冊も何回も読みましたが、そもそも「ウニヒピリを大切にしよう」という気持ちさえ起きなかったのです。
「大体、大切にするってなんなのさ、ケアってなにするのさ」という感じでした。
でも、ウニヒピリは自分であり、自分の感情であり、他の誰でもないということに改めて着目し、沸きあがる一つ一つの感情と思いをクリーニングしてきました。
ただがむしゃらにクリーニングするのではなく、ひとつひとつの感情をクリーニングすることもウニヒピリのケア、そして交流なのだと思います。
私は今、幸福感に包まれながら生活できるようになりました。
特別いい事があるわけでもありません。もちろん、毎日がそのように幸福感満載で生きているわけではありませんが、何かと感謝できるようになりました。
私は私を大切にするようになりました。そうすると、自然と他の人や物も、大切にするようになりました。
ポノの真髄<平和は私から>。
それを痛感している今日この頃です。
ウニヒピリとの私流の交流のとり方
桜が散り、すっかり葉桜になった東京では寒暖の差があり、なかなか気候が安定しません。
皆様いかがお過ごしでしょうか。
前回の記事についてのコメントで、読者の方からウニヒピリの交流のとり方について質問をありました。
ポノでは、ウニヒピリとの交流に重きを置いていますが、<ウニヒピリ>という本を読んでも、具体的に何をすれば良いのかが私にはわかりませんでした。
しかし、原典ホ・オポノポノを読んで、ウニヒピリがいかに重要か、ということが腹に落ちた感覚があったので、気づいたとき、時間があるときには交流を持つよう努めました。
私は、ウニヒピリと交流を取るようになってから、最近、状況や心境に大きな変化がみられるようになりました。
しかし、私の独自のやり方であり、正しいスキンシップではないかもしれませんので、一参考程度にとどめておいてくださいね。
まず、早速ご質問に対する返答ですが、
>具体的には声に出して問いかけをしたりしているのですか?
・・・・・声に出して問いかけはしていません。いつも心の中だけです。発声は疲れるので(^^)
声に出せば、感情がこもってよいかもしれませんね。
>それに対して、ウニヒピリが聞いてくれているという感触はありますか?
・・・・・・ありません。常に一方通行です。ただ、間違いなく聞いてくれていると思う瞬間は何度かありました。
>みみちろさんがウニヒピリとの交流を、どのようにしているのか
具体的には、ウニヒピリを自分の子供と考え、接します。
朝起きておはようと声をかけ、今日はどんな服着ようか~などと、たわいのないことを話しかけます。
私の場合、イメージするウニヒピリはなぜか黒人と日本人のハーフのような子供で(私は生粋の日本人)、そのイメージの子に対し、話しかけるのです。
人によっては妖怪のような映像が出てくる方もいるかもしれません。
でも、いいんです。空想だろうが、気のせいだろうがなんだろうが、ウニヒピリを思って出てくるイメージ映像。それが自分の子供とします。
そして例えば、朝起きたとき、お着替えしようか、今日はどの服着る?と言って、何パターンかの洋服を想像上でそのこに提示します。
そのこが選んだ服を着せ、今日はどこ行く?とか、今日はどこどこに行くんだ、などと話しかけます。
自分の子供と見立てて接するのです。
私たちは、潜在意識、要はもう一人の自分をずーっと何十年も放っておいたわけです。潜在意識という存在を認識していながらも、そこに人格や意志があることを知りませんでした。だから、放っておいたわけです。
潜在意識はもう一人の自分ですが、心の中では自分の子供です。
子供が、ずーっと親に放って置かれたら、どんな態度をとるかと想像します。
現実でしたら、グレる、情緒不安定になる、人格に影を落とす、などなど、健康な精神を育むことはできないでしょう。
いくら話しかけたり謝ったとしたって、簡単には許してくれないはずです。
でも、どんな人間でも、親から大切に思っていると言われ、心から何度も謝罪されたら、いつの日かかたくなな心は氷解すると思います。
ウニヒピリの肉声を聞いたり、その姿が見えなくても、交流が取れているという手ごたえを感じるようになったのは、ごく最近です。
原典ポノの記述には、「ごめんなさい、許してください」と唱えるのは危険、とありますが、それはクリーニングに関してのことで、私はウニヒピリに「今まで放っておいて、本当にごめんなさい。どうぞ許してください」ということは常々伝えています。
ただ、申し上げたとおり、普段のクリーニングにはその2つの言葉は使っていません。
私はあるとき、色々な自分の過去を思い出して、「ああ、あんなときもこんなときもずっと、私は一人ではなく、そばに自分の子供がいたんだ。それなのに、なんて自暴自棄なことをしてしまったんだろう。きっとウニヒピリは悲しんだのだろうな。
本当にごめんね。そして、いつも一緒にいてくれて、本当にありがとう」と話しかけたら、涙が出てきたのです。
それは、ウニヒピリが私の問いかけを聞いてくれたと感じた瞬間でした。
私は最近、ウニヒピリに心から感謝をしているので、そのことを伝えます。
すると、勝手に涙が出てきたり、心が突如晴れやかになることが何度かありました。
話しかけられるのを嫌がっているようなら、そっとしておく。
話しかけたくないと自分が思うなら無理に話しかけない。
とにかく、ご自身の感覚にもとづいて接することが大事だと思います。
そして、一番大切なのはウニヒピリに<心から感謝すること>。
それができなければ、過去に何かで頑張った自分を褒めてあげる。
ウニヒピリ=自分ですから。
これは私の体験ですが、心からの謝罪、心からの感謝は、ウニヒピリが本当に喜んでくれたと感じました。
かなさん、私もウニヒピリという存在を知るまで、ただ4つの言葉を唱えているだけでした。
ウニヒピリと交流を持たなければクリーニングは意味がないと思われているかもしれません。私もそうでした。
慰めではなく、言葉を唱えるだけでもクリーニングは確実にされていると思います。
言葉を唱えているだけの時、好転反応のようにいろんなことが立て続けに起こりましたから。
ヒューレン博士の提唱するウニヒピリとの交流のとり方を知りたい方は、私の過去ブログに<ウニヒピリとのかかわり方>というタイトルでアップしておりますので、ご参照まに。
生きることが楽しい
最近、生きていることがとても楽しいのです。
一年前では考えられません。去年の今頃は、うつ病で、毎日死にたいと泣いていたのですから。生きることが辛くて辛くて、現実を忘れられる睡眠だけが楽しみでした。
よく、うつ病は眠れないといいますが、眠りすぎという鬱の症状もあり、休みの日には15時間以上寝ているときもありました。
私はクリーニング方法として、以前は4つの言葉を唱えていましたが、原典オポノポノにも4つの言葉 は危険と記述しており、4つの言葉をとなえていると、心は日に日に重みを増してきたこともあって、「ありがとうございます、愛しています、ありがとうございます、感謝します」に変えました。
そして何より、ウニヒピリと呼ばれる自分自身への語りかけの時間を増やすようにしました。
語りかけても肉声として返答があるわけでもないし、肉眼でその存在がみえるわけでもないので、交流としては一方通行なのですが、語りかけの時間がふえると、「あー、私は一人ではなく、もう一人自分がいるんだなあ。今まで気づかなくてごめんね。いつも一緒にいてくれて、本当にありがとう」と心から感謝できるようになりました。
そしてその感謝を、常に伝えるようにしています。
それからですね。だんだんと自分の心境が変わってきたのは。
先行きが不安でたまらなかった将来への絶望感もなくなり、嫌々していた仕事も楽しくてしかたがなくなってきました。
お店も、じんわーり忙しくなっています。
色々と細かい心配事はありますが、とにかく生きていることに感謝ができるようになりました。
ただ、今日タレントの松居一代の資産が100億円以上と聞いて、果てしなく羨ましく思えて、私たち夫婦はこんなに働いているのに・・・とがっくりきてしまいましたけどね。
ポノは、クリーニングも大切だと思いますが、ウニヒピリと交流を持つことが、最重要だと痛感しています。
未来について
東京はもう葉桜ですね。桜が花の中で一番好きなので、来年まで見られないとなると、非常に残念です。
皆様いかがお過ごしでしょうか。
さて、今日は未来についてお話したいと思います。
私は幼い頃から人より勘が鋭く、人が何を考えているのか、次に何を話すのかが手に取るようにわかり、世の中には話していることと思っていることの相違がある人が多く、何十年も人間不信でした。
人の未来が見えてしまうことも多々あり、何年に何歳のどこの県の人と結婚する、ということまで言い当てることもできました。
私の姉などはさらに上をいっていて、マジックのトランプのカードあてなど、100パーセントの確率でぴたりと言い当てることができます。それから、正夢をよく見る人です。
そんな霊感の持ち主の私でしたが、自分のこととなると未来は全くわからず、3N男(金ない、髪ない、身長ない)と結婚し、一緒にお店までやるとは夢にも思っていませんでした。
しかし、私は自分の結婚相手は高身長、会社経営のお金持ちで、仕事で海外を行き来し、 語学が堪能で、外国人のように彫りの深い顔立ちの、とてもハンサムな非の打ち所のないような人が結婚相手として、何年も前から映像として自分の中で見えていました。
あんまりはっきり見えるものだから、自分の願望が空想化されただけなのかもしれないと思っていましたが、視えた映像を伝えていない姉からも、私の見えている映像と同じ人が夢に出てきたと言われました。
また、知人にも霊能者のように凄い人がおり、その人が霊視した私の結婚相手も私と姉が視えていた人と一緒だったのです。
その人と結婚していたのならば、生活の苦労はなかったでしょう。
しかし、その人との間には子供ができず、その人と結婚している間に、私は40代前半に治らないガンで入院し、病院のベッドのそばに姉と姉の子供がお見舞いに来ている映像がいつも付きまとうように映像として見えていました。
その映像は本当にはっきり見えていたので、私の人生は長くない、と覚悟を決めていたのです。
しかし、実際の結婚相手は映像とは真逆の3N男。本当は3Nどころか50Nくらいだと思いますが。
私は、前述した入院の映像のことは誰にも言いませんでしたが、結婚が決まったある日(そのときはすでに私は妊娠していた)
姉から「みみちろは長生きするね。子供ができたから。前にね、みみちろが入院して私と子供がお見舞いに行っている映像が見えたんだ。
その映像の中ではみみちろは子供がいなかったの。
子供がいないと、早く死んじゃう運命だった。
でも、見えた映像の人とは結婚相手が違うけど、ちゃんと子供をうむから、長生きするよ」と言われたので、そのときは本当に驚きました。
ここでも、私が視た映像と、姉が視た映像は一緒だったのです。
結婚相手に関しては、私を含め3人が同じ男性の映像だった。
子供ができず、早死にする私の人生の同じ映像を私と姉は視た。
スムーズにいけば映像通りの人生なはずなのに、一体どういうことなのだろうかと私は考えました。
おそらく、見えた映像は「今のままでいくと、こうなる可能性が非常に高い」ということなのだと思います。
よく、運命は決まっていると言われます。
運命は変えられるとも言われます。
そのどちらもその通りで、おそらく、何百、何千というパターンの未来の出来事がすでに存在していて、自覚していないながらもその中からチョイスしているのではないか、と私は考えます。
深く考えるとこんがらがってくるのでこの辺にしておきますが、とにかく人生は選択の積み重ね、選択の連続なわけで、次の瞬間も何千パターンの人生があり、今の思考でそのたくさんの人生の中から選択をしていく。
思考、行動、言動を、常に自分の中のベストなチョイスにしていくことが、最高の人生につながると私は考えます。とおーっても難しいことですが。
悪の感情はひたすらクリーニングして。
何だか散文になりましたが、私の霊感は、子供を産んでからはすっかり消えうせてしまいました。
怒りのエネルギー
一昨日は春真っ只中と思うくらい暖かかったのに、昨日は寒くてダウンを着て仕事へ出かけました。
一昨日は確かにあたたかかったけれども、タンクトップに短パンで、アイスコーヒーを片手に歩いている外国人を見たときは、あまりの衝撃に乗っていた自転車から転げ落ちそうになりました。
こういう人は、夏は腰みのでもつけて歩くのでしょうか。なんとも不思議です。
さて、ポノを始めてから一年を過ぎましたが、状況の変化はみられないものの、心境は本当に変化しました。
殺意さえ抱いていた夫への気持ちが変わり、この人を助けていこうと決意するまでになりました。
夫への嫌悪感に加え、お店の経営不振からうつ病になり、一年以上、毎日死にたいと泣いていました。朝起きると、何でまだ生きているのだろうと、朝から泣いていたものです。
それが今では、なるようになる、死にはしないんだから、明日の心配はやめて、今日を精一杯生きよう、と思うまでになりました。
私のうつ病が治ったのにはきっかけがあります。
ある日、私のお店の近くの和食店の店主が、うちのお店に食べに来たのです。
この店主は、うちの魚の仕入先をかぎつけて仕入先を変更して同じ店にしたり、とても印象の悪い人でした。
私が不在で、主人一人で営業したときの事です。
主人が裏で作業しているときに、他のお客様にその店主が営業していたそうなのです。
同じエリア、しかも目と鼻の先の距離でお店をやっているのに、よくそこまでやれるもんだと私は憤慨しました。
普通、同業のお店に行ったときは、仮にお客さんと話をしても、同業者とは決して言いません。それは何の職業でも同じことだと思います。
うちのお店にも板前の方がお客として何人もいらしていますが、営業をしない事はもちろん、同業者だと明かす人は一人もいませんでした。
主人に断りもなく名刺を出したていたそうで、そのとき、主人は裏で生のいくらを外しており(←時間がかかる)表に出られなかったそうです。
まあ、表に出ていたとしても何の対処もしなかったでしょうけど。
主人はのらりくらりと笑いながら話しており、それにも腹がたち、主人を怒鳴り散らしてやりました。
私がいて、そんなことをしたらすぐに出て行ってもらいます。
・・・・・と、いうことがあり、なんてなめられたもんだ!と怒りで眠れなくなるくらい立腹したのです。
そうしたら、あら不思議、怒りのエネルギーでうつ病が治ってしまいました。
鬱も不健康だが怒り続けるのも体に悪い。
この店主に殺意を抱くくらい腹が立ち、その感情をクリーニングし続けました。
今も時々この店主に対し怒りが爆発しますが、普段はなんとも思わず(嫌いではありますが)今日に至ります。
ポノをしなければ、今日まで同じボルテージで店主を恨み続けたことでしょう。
怒る事は悪いことだと言われています。
確かにその通りです。
怒りのエネルギーの強烈さは、凄いものがあると思います。
あまりの怒りで血圧が上昇し、死ぬ人がいるくらいです。
しかし、生きる気力のない人や、ただ淡々と生活しているような人には、生きるエネルギーへと変換され、私のように毒が薬になることもあるかもしれません。
大金持ちから言われた一言
今日はあたたかかったですね。
もう春がそこまで近づいてきています。
昨年は、毎日死にたいと思っており、大好きな桜など目に入りませんでしたが、今年はとても楽しみにしています。
お店の経営では変化はありませんが、私の心は極寒の時期は過ぎ去ったようです。
それもポノのおかげなのかもしれません。
先日、私の誕生日で、うちの店の向かいのビルにオフィスを構えた常連のお客様Aさんと、そのお友達Bさん(二人とも、年齢は私の約2倍&お金持ち)が、うちのお店の開店前に向かいのクラブで誕生日をお祝いしていただきました。
Aさんは、開店当初から主人と私をとてもかわいがってくださいますが、和食が好きではないのです。
お金持ちだし、残された人生は、世間のために役に立つことをしたい、と常々言っておられるので、うちの店に来てくださるのも、ボランティアの一環であるようです。
色々雑談をしていたのですが、その中で私が、結婚してこんなに苦労するとは思わなかった、とふと漏らしたら、Bさんが「君は幸せだよ」とまじまじと言いました。
今の状況を幸せだと痛感したことがなかった私は「いえ、毎日綱渡り生活で、気持ちに全く余裕がありません」と答えました。
「Aさんをみてみなよ、お金に困るわけでもなし、もう爺さんだし、(←そういうBさんはAさんと同じ年)この先ナーンにもやることがないんだから。
君は毎日必死に生きていられるじゃないか。どっちが幸せかと言ったら、毎日やることがたくさんある君のほうだよ。
精一杯生きられるというのは、本当に幸せな事なんだよ。」というBさんの発言に、クラブのママも「そうね。私も本当にその通りだと思う」と深く同意していました。
当のAさんはホントにその通りだな、わっはっはー!と笑っていました。
Aさんは、寝ていても毎月何千万というお金が入ってくるような人です。
私はAさんより幸せだとは思えませんが、確かに、必死に生きることって、とても大事な事なのかもしれない、と思うようになりました。
Aさんはご実家もお金もちの方で、何不自由なく生きてこられたと思っていました。
いつもいつも楽しそうだし、人柄が良いのでお友達もたくさんおられるし、本当に恵まれた人生を送っている方だと思っていたのです。
しかし、昔に5歳になるお子さんを一人亡くされたという事を初めて聞いて、ものすごく驚いたのでした。
いつもいつも明るく楽しい方ですが、その話をしているときは目が赤くなっていました。
人の人生は、他人が見ている限りでは何もわからないものです。