記憶は巡る
ポノを休むといっておいて再開したり、有限不実行で情けない私ですが、やはりポノに戻ってしまいました。
再開して、痛感したことがあります。
今のこの私の状態は、家族の<記憶>の再生なのではないか、と。
私の家は非常に貧乏でした。
父親は働かず、常に酒を飲み母親に365日、毎日ひどい暴力を振るっていました。
母は内職をし、パートに出て大変な思いをしながら3人の子供を育てました。
私には姉がいますが、その旦那は真面目だけれど甲斐性がなく、人にだまされたり、常にお金のトラブルがつきまとい、お金に縁のない生活を送っています。
そして私。私の旦那も非常に真面目だし、働き者ですが、お金に関しては全く頼れない。私も姉も、旦那をあてにした生活ができないのです。
母も、姉も、経済的に頼れる伴侶ではない。その記憶が私にも再生しているのではないか、と。
幼少の頃の貧しさをバネにして、成功している人もたくさんいます。
しかし、経済的な事のみならず、親の人生と似た人生を送る人、または自分が嫌悪していた親の選択肢と似た選択をしていることは多々あるのではないでしょうか。
親子は長い時間を共有しているのだから、趣味嗜好、言動が似ることは仕方がないとも言えるでしょう。
しかし、その土台は<記憶>のような気がしてなりません。
ポノでも他のメソッドでもそうですが、結果が出ないと本当にめげるし、やる気がなくなります。
しかし、ポノに限っては、途中で休んでも、<とにかく続ける>ことが肝要な気がする今日この頃です。