心に奇跡

先日のブログでは、お店が久々に混んで・・・・というような内容の記事を書きましたが、その後はパッタリ・・・。

ただの偶然だったようです。ハハハ・・・(渇いた笑い)

先月は、お客ゼロの日が5日もあり、開店史上最悪の売り上げの月となりました。

 

オポノポノをはじめる前は、私は度重なる苦労を、すべて主人のせいにしていました。

 

・・・・こんな苦しい人生になったのは、主人のせいだ。

正直、憎しみでいっぱいでした。

 

なんだこいつ、と思われるかもしれませんが、私は客観的に冷静に判断しても容姿はそこそこいい方で(←すみません)男性に不自由したことはありませんでした。

 

結婚するなら金持ちだろうと家族には期待され、周囲からもそのように言われ続けていたので、金もなければ髪も学歴も背もないという、ないないずくしの板前と結婚することを知った家族をはじめ知人、友人、みんなに本当に驚かれたのです。

 

私自身も、もっといい人がいたのでは。。。。という後悔の思いが捨て切れませんでした。

 

主人と結婚して一年の間、毎日が後悔と憎しみと絶望しかなく、主人に感謝など一度もした事がありませんでした。 

 

ポノをはじめてから、

その思いが増幅し、主人に何をされたわけでもありませんが、

次第に後悔が頂点に達して主人に殺意まで抱くようになってしまいました。

 

しかし、ポノを頑張って続けていたら、その思いが感謝に変わり始めたのです。

 

お店の混雑はただの偶然でしたが(笑)これは奇跡です。

 

 

 

ハッキリいって、ポノは大変な作業です。

 

「4つの言葉をいい続ければいいだけでしょ?」

 

私も最初はそう思っていました。

しかし、継続するということは本当に大変なのです。

 

続けているうちに、疑心暗鬼になって、ポノをやっている自分を非常に馬鹿馬鹿しく感じたり、心が闇で真っ暗になると、4つの言葉を心の中で唱えることさえしんどくなります。

 

しかも、ウニヒピリ(潜在意識:内なる子供)との交流をはからなければ意味がない、というのが大前提で、そのウニヒピリというのも胡散臭く感じてしまい、「ウニヒピリだって。何それプッ」というような心境にもなります。

 

だって交流をはかれといったって、ウニヒピリの姿が肉眼で見えるわけでもない、肉声が聞こえるわけでもありません。

 

心に浮かぶウニヒピリの映像も、いうなれば単なる自分のイメージ映像なだけであって、目前に登場してくれるわけでもなく、本当にその姿なのかも確認のしようがない。

 

そのイメージが自分の内なる子供、そして自分自身と信じ、声をかけ、心の中で返事のようなものがあったときも、確認のしようがないままにその返事はウニヒピリの答えなんだと信じなければならない。

 

一般論としては、そんなものただの妄想、空想、想像の産物であり、ちょっとした心の病を抱えている人間と思われるのがオチです。

 

要するに、ポノは「信じること」が大前提なわけであります。

 

おそらくこの記事をお読みいただいている方、もしくはポノをやっている方は、

 

・人生ではじめて恋人ができた

・高額宝くじに当たった

・懸賞に当たった

・病が治った

・仕事がうまくいった

・臨時収入があった

・・・・などなど、目に見えるわかりやすい物理的奇跡を望んでいる方のほうが多いのではないでしょうか。

 

私ももちろん仕事の安定という、上記のくくりを期待して始めましたが、(ハッキリ言って今も期待しています)自分が特に望んでいなかったカテゴリーでの改善が顕著に見られ、日々の苦しみが軽減されました。

 

心の変化は、気づいても、数値化・可視化できないので、そこに立ち止まりにくいことです。

 

 

    でも、幸せって環境が決めるのではなくて、心が感じること。

 

お店の集客などの物理的変化はまだ見られませんが、目に見えない、心の大変換が起きたわけで、私はポノを信じ、これからも続けていこうと思います。