コメントへの返信と、ウニヒピリについて痛感したこと

梅雨ですね。私は天パなので、髪がクルクルしてしまって非常に困ります。

 

皆様いかがお過ごしでしょうか。

 

更新が遅れ、コメントを頂いたのにお返事ができなくて申し訳ございません。

 

子供は1歳7ヶ月を過ぎ、一秒たりともじっとしておらず、なんにでも興味を持った挙句に物を投げて壊される事が多々あるため、子供の目前でパソコンや携帯をいじることはできません。

 

なので、ブログ自体も更新は遅くなってしまう上、コメントを頂いてもすぐに返信ができかねますのでご了承いただければ幸いです。

 

先日記事に書いたとおり、非常に忙しかった先月とは一転、今月は中盤までとても暇でした。

 

そのためか、尋常ではない将来への不安が襲ってきて、消失していた主人への不満と、死にたい願望がまた再発してしまったのです。

 

懸命にクリニングをしても心境も状況も何も変わらない。ポノって何なんだろうか。やはり、原典ポノにシフトしなければならないのか。でも、私には原典ポノをする時間がとれない(←けっこう色々やることがある)

・・・・・などなど、毎日ごちゃごちゃ考えていました。

 

ウニヒピリは何の応答もしてくれないし・・・・

 

と思っていましたが、いやいや待てよ、私はウニヒピリ(以下、ウニヒピリをウニに省略します)は自分でもあるが、自分の子供でもあるのではないか。

ブログでも、自分の子供のように接するのです、などと偉そうに指南していたではないか。

 

・・・と思いなおしたのです。いくら応答がないからといって、そのままほったらかしにしていい訳がないではないか。

 

私は子供がいるが、いじけていたらそのままずっと放置するのか?もし放置したらどうなるのか?


その前に自分が家族に無視されたらどうなるか?悲しいし怒るし、自暴自棄になり、憎しみを抱いてしまう。

 

等々、様々な事を考えあぐねておりました。

 

じぶんという子供、そして自分自身を放っておいてはならない。

・・・・・・そう思いなおし、スキンシップを再開しました。

 

するとどうでしょう。荒れた心は次第に穏やかになり、お店も忙しくなってきたのです。暇だった中旬までのお店を、挽回するほど忙しくなりました。

 

状況をよくしたいからウニと交流を持つことはとても打算的に感じて罪悪感を持ちました。

 

しかし、すべての人間関係に立ち返ってみると、深く深く掘り下げてみればすべて、自分が平和でいたい欲求があるのです。愛する人に優しくするのは、相手にいい気分でいてほしいからと思いがちですが、その根っこには、相手の笑顔により、自分が幸福感を味わいたいという潜在的欲求があります。

なので、利己的だとか、打算的だとか、自分を責める必要はないのでは、と思うようにもなりました。

 

そもそも、自分が幸せでなければ人を思いやる余裕などできないと、お店を始めて心から痛感しています。

 

ウニに話しかけても何日も背中を向かれていましたが、徐々に応答してくれるようになり、笑顔が見られるようになりました。(もちろん実体や確証はないのですが)


ポノでは、<平和は私から>というのが根本の教えです。

それはポノのメソッドにおいて複雑な意図と意味を持ち合わせますが、ポノから距離を置いてみても、自分の平和というのは、絶対的だと思っています。平和はわたしから。本当に本当にそう思います。

私がこうして記事を書いているのも、ポノに感心がある人や、ポノでつまづいてる人にとって、何かしらのヒントになればいいな、そう思う気持ちからですが、その気持ちの発露は、今の平和なわたしの心なのです。長い間更新しなかったのは、子供がいるからという理由がもっともですが、その前に、心身が疲弊しきっていて、書く気力がなかったのです。

 

乱文になりましたが、ポノを続けていく上で最も大切な事は、ウニを大事にすること。ウニと交流をもつこと、持とうという意志をもつこと。それらを痛感しています。

 

さて、皆様から頂いたコメントに返信させていただきます。非常に勉強になるコメントも多々ありますので、皆様も是非参考になさって下さい。

 

エンタサン

こんちは 最近知人から、ホオポノポノというのがあるよと聞かされ。ポノ? 検索したら、ここが一番にヒットし。 皆大変だなぁと感じました。
 
・・・・・・エンタサン
人生は大変ですね。だからこそ、生まれてきたのだと思います。そうやって困難に体当たりして、自分を成長させていく。それが目的でこの世に生を受けたのだと思っています。
 
KONAMI
初めまして。こちらのブログを毎回、興味深く読ませていただいてます。この頃、更新がなかったのでどうしたのかと思っていました。私もサービス業の仕事をしており、日々ストレスとの闘いです… ポノの効果ってあるのかな?と思う事もしばしばです。 期待を持たないって難しいです。なんだか心が苦しい時にブログを読ませていただいて、勝手に共感したりしています。ありがとーです!
 
・・・・・・・・KONAMIさん
サビス業(すみません、長音のキイが打てません)って本当に大変ですよね。ポノは、前述したとおり、ウニとの交流が肝要だと思います。効果は、ウニにかかっていると痛感していますよ。
 
 
あすん
肉食をやめてください アルコールにタバコと出来るだけ食品添加物の摂取を やめてください ただ見つめクリーニングは続けてください 特に死んだ動物の肉の波動が染みついてると それにほとんどクリーニングが持ってかれます 植物は周りにおいて可愛がってください アイスブルー 
 
・・・・あすんさん
肉食は健康にも良くないですね。私は以前菜食主義でしたが、そのころは今より短気でした。
ヒュレン博士は肉が大好きだそうですよ。ポノの観点からすると、肉がダメ、というのも記憶かもしれないですね。植物は、忙しくてすぐに枯らしてしまいます。。。。
 
みずき
悪夢についての返事、ありがとうございます。私もだんだん減ってきました。 ポノへの疑いが出てきたとのことですが、私もいまだに疑いながら続けている、という感じです。効果はありますが、疑いが強く出てくる時もあり、この疑いという感情をクリーニングしよう、と思いながら四つの言葉を唱えたりしています。実際、今このブログに来たときも一日中疑っていたところでした。 ただ、江原啓之さんの本にも書かれているのですが、ほとんどの人は、(マザーテレサのような人でない限り)みんなカルマの解消のために生まれてきているということなので、そこはポノと同じだし、(記憶=カルマのクリーニング=解消)やっぱりそういうことなのかな、と思っています。 ポノをすればカルマの解消が早まるのかな?と。(そして無我の境地に至ったら奇跡的なことが起きる?) でも、問題がなかなか解決しないと、やっぱりやる意味あるのかな?と思いますよね。私も焦ってしまいます。 私はウニヒピリの声が第三者のように聞こえるわけではないので、返事がないというのがよくわからないというか、なくて当たり前という感じです。なので、自分の感情や思い出したことなどについて一瞬ごとにクリーニングしています。それで合っているのかはわかりません。返事が他人が返すように聞こえないとだめなんでしょうか・・・?ヒューレン博士に直接質問できたらいいんですけどね。 私も疑いで感情的になっていたところだったので、共有できてありがとうございます。 わたしの平和
 
 
・・・・・・みずきさん
ウニの声が第三者的に聞こえているような人なんてまずいないと思いますよ。千人に一人いればいいほうではないでしょうか。私ももちろん聞こえていません。すべて、心の中でのやり取りです。ポノに理解がない人からすると、想像、空想、妄想にとりつかれてると思われるでしょう。
 
アミ
初めまして。いつも率直な感想に共感しながら楽しく、そしてウニヒピリとの関わりについてのコメントでは、私自身多くのヒントを頂きました。 ぜひまた、その後のウニヒピリとの関係についてお知らせしてもらえたら嬉しいです。私は、まだよく分からないところも多いけど、やっぱりウニヒピリとのつながりが何より大切なのだろうという感覚はみみちろさんのおかげで持つことができました。 悪夢が一定の時間を経て、なくなっていくという体験のお話はとても興味深いですし、変化を生むには時間がかかるということを改めて確認したお話でした。 私も魔法を期待していました。自分でもよく考えると笑っちゃうけど、本当にインスタントのマジカルを。でも、やっぱりそんな魔法はないですよね。ただ、クリーニングの過程は、種をまかないと芽は出ないことや、適切な環境なら、その植物のスピードで成長していくのと同じことを狙っている様に感じる。魔法を期待するのは、種もないのに芽が出てくるのを待っているようなもの。でも、種をまいて環境を整えることを考えると、悪夢が消えていくことが理解できる気がするんです。そしてそこにはウニヒピリ(自分)を本当に大切にすることが大きく関わっている気がする。なぜなら自分はそれができていなかったから。自分の問題にはそれがすごく関係しているんだろうって本当に思う。そして何でも本当に大切にするのは、片手間ではできないんだなって思います。 たくさんの気づきをありがとうございます。 これからもブログ更新を楽しみにしています。

 

・・・・・・アミさん

>クリーニングの過程は、種をまかないと芽は出ないことや、適切な環境なら、その植物のスピードで成長していくのと同じことを狙っている様に感じる。魔法を期待するのは、種もないのに芽が出てくるのを待っているようなもの。

 

本当にその通りですね。非常にお上手な例えです。

KRさんが言っていましたが、24時間4つの言葉を唱えるより、10分ウニと交流を持ったほうが意味がある、というのは、最近私も深く共感しているところです。

そして最近また、悪夢を見るようになりました。

ポノとの因果関係は良くわかりませんが、連日悪夢続きなので不思議です。

 

皆様、コメントありがとうございました。

コメントを頂くと、更新しなきゃ、という気持ちにかられるとともに、とっても励みになるので、今後ともよろしくお願いします。

悪夢について

ご無沙汰しています。

いかがお過ごしでしょうか。

パソコンの調子が悪く、いくつかの文字が打てません。

よって、へんてこりんな文章がでてきた際は、前後にからめてご自分で想定して読み進めていただけますでしょうか。

 

先月はお店が忙しく、疲労困憊しておりまして、ウニヒピリをまったく意識しない日が続いていました。

そのせいか、最近はウニヒピリがまったく応答してくれません。常に背中を向けているような状態で、話しかけても応答をしてくれません。

 

ウニヒピリが原因かはわかりませんが、心身・店の状況ともに不調です。生きることがしんどくなってきました。  ポノを始めるときと似た心境に戻ってしまっています。

 

皆さんにポノの効果というものをお知らせしたく、また、自分自身を励ますために

ブログを始めましたが、最近は、ポノに猜疑心満載でとりくむようになってきました。

 

KR女史やヒュレン博士は、クリニング(長音のキイが打てません)するためだけに生まれてきたと言っていますがそもそも、ポノは<問題解決>が原点なのです。

ですので、効果を期待するなというほうが無理ですし、何の問題もない人がポノを始めることはまずないでしょう。

 

効果をまったく期待せずにポノっている人は一体どのくらいいるのでしょうか(ポノの組織関係者以外で) もしいたとしたらその人は、何のためにポノを始めたのでしょうか。

9割以上の人が、今抱えている問題を解決を期待してポノっていると思います。

 

ゼロになるためにクリニング、というのも、ゼロという目的は、言い換えれば期待ともいえます。

何もない状態、ゼロ。しかし、ゼロを目指すと言う目的は、それすらもクリニングの対象です。

 

・・・・・などなど、ついつい愚痴ってしまいましたが、先日の記事にも書きましたが、ポノを続けていて効果の期待自体が薄れていくのは実感としてあります。

 

さて、愚痴はこのくらいにして、先日の記事にみずきさんからコメントを頂きました。ありがとうございます。その中にポノを始めてから悪夢を見るが、見なくなる日は来るのだろうか、とのことでした。

 

私はこのことも前回の記事に書きましたが、ポノを始めて半年以上、毎日毎日悪夢をみていました。それが、あるときからまったく見なくなりました。

 

ポノとの因果関係は深いものと思われますが、ポノの何に起因しているのかはわかりません。

 

久々のブログで愚痴ってしまい申し訳ありませんが、無視されてもめげずに懸命にウニヒピリとの交流に努めていこうと思います。

 

 

 

 

 

 

コメントへの返信

汗ばむ気候が続き、蚊の出現におびえる今日この頃、皆様いかがお過ごしでしょうか。

私は時間に追われる日々を送っております。

 

最初、このブログのアクセス数は、10満たないくらいでした。

いまでは650ですとか、当初からは考えられない数字で、300を下ることはまずありません。 ポノ需要が多いのでしょうね。

 

さて、コメントを数人から頂きましたが、お返事がかなり遅れてしまいました。すみません。

 

まとめてこちらで返信させていただきたいと思います。

 

かなさん、ポノのやり方は間違えていないと思います。

私自身の経験からですが、効果を強く期待しているうちは、自分が望む効果は得られませんでした。

期待への効果が薄れてきて、徐々に変化が訪れてきました。ポノを続けていくと、期待自身が薄れてきます。

そうなるまでに、どのくらい時間がかかるのかはそれぞれだと思います。

私も何度出産を後悔したことかしれません。ご自分を責めないで下さい。そして、現象も心境も、最低最悪の日々でした。

 

<何か問題が起きたら、それはクリーニングのチャンス>とポノでは説いていますが、私も実感として、そう思います。

 

私は以前、その瞑想により悟りを開いたという、仏陀が編み出したとされる瞑想をしていたことがありました。その瞑想をすると、とにかく感情が爆発し絶叫したくなります。そして、嫌な事が起きます。しかし、それはすべて、好転反応なのでした。ポノとまったく一緒の現象だったのです。真理は一つなのでしょう。

 

ですから、かなさんの非常に不安定な心境も、ご主人の転職も、かなさんの好転反応なのかもしれません。

無責任な事は言えませんが、転職をされることにより、良い道が開かれるかもしれません。

 

嘆くな、後悔するなと言っても、それは無理な話でしょうから、湧き上がる感情に対し、ひたすらクリーニングしてみたらいかがでしょうか。また、あまりにも辛いようでしたら、ポノをやめてもいいと思います。

 

るっくさん、コメントありがとうございます。

るっくさんも大変だったのですね。

人は皆いいことばかりを望みますが、辛いことを経験して、一回り成長できるなら、どちらがいいとは一概には言えませんね。

今ではご主人と親友のようだとのこと。素晴らしいです。

 

まりんさん

ご家族を失われて、さぞお辛い思いをされたでしょう。

それは、家族がいるものには想像を絶する心境だと思います。

 

周りの方が、ご家族の話をする人が多いとのことですが、話の流れ的に家族の話しになってしまったり、ご自分がお辛い思いをなさっているから、余計耳に止まるのかもしれません。

 

周りの方の中には、うっかり家族の話をしてしまう人もいるでしょうし、何の気遣いもなく、平気で話す人もいるでしょう。

 

ただ、本当に繊細に気を遣う方は、自分の家族の話はしないでしょうね。

 

ご自分が不快に思う方とは、距離を置くことが一番だと思います。

 

でもね、まりんさん。

もちろん、家族がいて幸せなひとはたくさんいますが、家族がいても全員背中を向けて生きているような家族もごまんとあります。

 

私自身、父親が365日、母を殴るける、母の髪をつかんで引きずり回し、母は裸足で家を出てくような家で育ちました。

まさに阿鼻叫喚の日々。

毎日毎日泣いていました。成人してからは、今度は私が父と殴り合いの日々となりました。心から笑えるようになったのは、30過ぎてからです。

姉にはいつも金銭面で苦労させられていますし。

 

家族がいるからこそ、辛いという環境の人もたくさんいます。

 

家族がいることが心強いのは確かな事ですが、家族がいることが自動的に幸せだという図式は成り立たないのです。

 

天涯孤独な人は、寂しさや不安はありますが、気楽に自由に生きられ、家族の問題や心配がないという良い点もあります。

今家族がいて幸せな人も、家族を失ったときの悲しみは、絆の強さに比例し、計り知れない深さとなるでしょう。

 

物事にはすべて、裏と表、光と影があります。まりんさんは今、ご家族がいる人の表と光の部分しか見えていないのかもしれません。

 

一番大切な事は、家族がいてもいなくても、自分自身が幸せか否か、ということだと私は思います。

 

まりんさんの苦しみは、誰にもわからないでしょう。

でも、まりんさんが新しいご家族をお持ちになったとき、ご家族を大切にしようと思う気持ちが人より強くなるかもしれません。

 

それから、お父様のDVの夢をよく見られるということですが、私はDVの夢は見ませんでしたが、ポノを始めて半年くらいまで、なぜか毎日のように悪夢を見続けていました。

悪夢を見てクリーニングし、また悪夢を見る・・・・・。その繰り返しの日々でした。

 

 

 

段階

私はポノをはじめて一年ちょっと、スターターとなんら変わりはありませんが、僭越ながらポノについて私の経験を書かせていただきます。

 

ポノには、私の場合は段階がありました。

 

私は、以前は主人のことが憎くて憎くて、そして結婚への後悔が断ち切れなくて、ずっと苦しんでおりました。

 

ポノを始めてすぐは、自分にとって良いことが起こります。(主人への思いは変わらない)

でも、すぐに嫌な出来事が襲ってきました。

 

その間、主人への憎悪がマックスにいたり、怒りで絶叫したくなるほどの思いが頭を占拠します。

 

暇なお店への不安で毎日、鬱状態でした。

 

ポノによって、不安定なお店の状況をなんとかしたい。ポノにすがっていました。

 

ポノは休み休みでした。あまりにも心身ともに辛く、早く楽になりたくて、途中で他のメソッドに浮気なぞしながらも、ポノを断続的に続けていました。

 

ポノっているときは、効果を期待して、がむしゃらに念仏のようにポノっていました。

 効果を期待しながらも、何の変化もないんじゃないか、、、というポノへの猜疑心と不安が募ります。

以上が第一段階です。

 

その後、主人への思いが緩やかに変化していきます。

それでも、時に非常に大きな憎しみが襲ってきますが、以前のように長時間続きません。

憎しみの振り子のふり幅が、小さくなっていきます。

この間、お店の状況などは、特別に変化はみられません。

しかし、お店を繁盛させたい、という強い思いと執着が薄れていきました。

 

以上が、第二段階です。

 

今現在、私は主人に心から感謝しています。

主人を大切にしようという思いが発生し(←以前はもちろん皆無だった)できるだけサポートするよう努めています。

お店は今、とても忙しいです。この状態は最近ですので、偶然かもしれません。

ウニヒピリをケアするようになりました。

今は、ポノは習慣となり、効果を望むと言うよりは、記憶を消去しているという感覚です。

第一段階では、とにかくポノによる効果を期待していましたが、神格に任せていこう、という気構えへと変化しました。

 

がむしゃらにクリーニングをすることはなくなりました。

 

出来事、物、感情、思い、それらひとつひとつ丁寧にクリーニングするようになりました。

以上が第三段階です。

 

 

ウニヒピリをケアするようになってからは、期待や希望への執着が激減しました。

 

ヒューレン博士が「期待がクリーニングを妨げる」と言っていましたが、

 期待が薄れてから、お店が忙しくなってきたように思います。

 

それから、お店に毎週来られる男性のお客様がいるのですが、その方は、会社で理不尽かつ理解不能な言動をする部下に半年以上苦しめられており、鬱状態でした。

話を聞くと、それはそれはひどいものでした。

その部下は女性だったため、上層部に訴えても我慢してくれと言われたそうです。

時に、真っ青な顔で来店するので、本当に心配していたのです。

 

それが、ある日突然、その部下が「今まですみませんでした」と謝ってきたというのです。そのお客様が部下に何かを働きかけたわけではありません。本当に突然だったようです。

 

それも、第三段階で起こったことです。私の姉も、購入する家を探しており、なかなか見つからないでおりましたが、つい最近、破格の金額で購入することができました。

 

このように、周囲の変化もみられるようになりました。

 

かなさん、いつも同じことを書いて申し訳ないのですが、私も伴侶に対しかなさんと非常に近い感情をいだいていましたから(私は殺意さえありましたから、私の方が、主人への嫌悪感は大きいと思われます)心情お察しします。

私の経験の通りにクリーニングが進んでいくとは断言できませんが、例え途中でやすんでも、クリーニングを続けていくことは、とても重要だと思います。

 

今はお辛いでしょうが、私もそのような時期が長く続いていました。効果への不安も大きかったです。

 

効果への期待が薄れていくと、色々変化があるように思いますが、それも、段階です。

じゃあ効果への期待が薄れていくようにと願うかもしれませんが(^^)そう思ったら是非クリーニングしてくださいね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ウニヒピリとの交流の仕方 その2

毎日忙しく過ごしております。

皆様、いかがお過ごしでしょうか。

 

前回、ウニヒピリとの交流のとり方について記事にさせて頂きました。

世の中にはウニヒピリを肉眼で見たという方もいるようですが、過去に何度も書いたとおり、私はウニヒピリを肉眼で見たり、肉声を聞いたりしたことは一度もありません。

 

現実的・物理的には、常に交流は一方通行です。

 

というのも頭の中では、ウニヒピリが返事をしてくれたり、スキンシップをとってくれたりしてくれます。しかし、これは単なる空想であるともいえます。

 

これが空想なのか、実際心の中では本当に交流がとれているのか、真実はわかりません。

 

しかし、最近、その<心の中>で色々な声をきくようになりました。

 

例えば、朝、毛布をたたんで押入れにいれるときに、「毛布の輪のほうを左側にして押入れにしまって」とか、靴を履こうとするとき、「右足から玄関に出て」とか、日常生活に何の影響も意味もないようなことを言われるのです。

 

私はなんだかよくわからんが、とにかくその通りにします。すると、続けてウニヒピリが「そうすると、今日、お客が4人来るよ」というようなことを言い、予約ゼロだった日なのに、本当に4人来たりするのです。

偶然なのかもしれません。しかし、そういうことは本当に多いです。

 

しかし、たまに外します。でも、外すのは確率的には10回に一回くらいのペースで、当たる(?)ことのほうが多いのです。

 

なので、普段の頭の中での交流が実際取れているのかいないのかは本当にわかりません。

それから、物の声?のようなものも感じるようになりました。

もちろん、肉声ではありませんが、皿を洗っているときに「シンクを磨いて!」と心の中で何かが叫ぶのです。

 

というと、まったくの変人、狂人です。そう、私は変人かもしれません。でも、いいんです。


とにかくその通りにします。KRさんも物と対話すると言っていましたが、彼女も物の肉声が聞こえているわけではないと思います。こうした感覚に従っているのでしょう。

 

ウニヒピリと交流がとれているか、真偽はわかりませんが、ウニヒピリに話しかけて、自分は何てこともないのに勝手に涙が流れたり、突如心が晴れやかになったりするときは、私の話や伝えたいことが確実にウニヒピリに伝わっていると確信しています。

 

以前の私は、ウニヒピリを大切にすることの大切さが、頭では理解していても腹に落ちた理解を全く得られませんでした。

 

ヒューレン博士の本を何冊も何回も読みましたが、そもそも「ウニヒピリを大切にしよう」という気持ちさえ起きなかったのです。

「大体、大切にするってなんなのさ、ケアってなにするのさ」という感じでした。

 

でも、ウニヒピリは自分であり、自分の感情であり、他の誰でもないということに改めて着目し、沸きあがる一つ一つの感情と思いをクリーニングしてきました。

 

ただがむしゃらにクリーニングするのではなく、ひとつひとつの感情をクリーニングすることもウニヒピリのケア、そして交流なのだと思います。

 

私は今、幸福感に包まれながら生活できるようになりました。

 

特別いい事があるわけでもありません。もちろん、毎日がそのように幸福感満載で生きているわけではありませんが、何かと感謝できるようになりました。

 

私は私を大切にするようになりました。そうすると、自然と他の人や物も、大切にするようになりました。

 

ポノの真髄<平和は私から>。

それを痛感している今日この頃です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ウニヒピリとの私流の交流のとり方

桜が散り、すっかり葉桜になった東京では寒暖の差があり、なかなか気候が安定しません。

 

皆様いかがお過ごしでしょうか。

 

前回の記事についてのコメントで、読者の方からウニヒピリの交流のとり方について質問をありました。

 

ポノでは、ウニヒピリとの交流に重きを置いていますが、<ウニヒピリ>という本を読んでも、具体的に何をすれば良いのかが私にはわかりませんでした。

 

しかし、原典ホ・オポノポノを読んで、ウニヒピリがいかに重要か、ということが腹に落ちた感覚があったので、気づいたとき、時間があるときには交流を持つよう努めました。

 

私は、ウニヒピリと交流を取るようになってから、最近、状況や心境に大きな変化がみられるようになりました。

 

しかし、私の独自のやり方であり、正しいスキンシップではないかもしれませんので、一参考程度にとどめておいてくださいね。

 

まず、早速ご質問に対する返答ですが、

 

>具体的には声に出して問いかけをしたりしているのですか?

・・・・・声に出して問いかけはしていません。いつも心の中だけです。発声は疲れるので(^^)

声に出せば、感情がこもってよいかもしれませんね。

 

>それに対して、ウニヒピリが聞いてくれているという感触はありますか?

・・・・・・ありません。常に一方通行です。ただ、間違いなく聞いてくれていると思う瞬間は何度かありました。

 

>みみちろさんがウニヒピリとの交流を、どのようにしているのか

 

具体的には、ウニヒピリを自分の子供と考え、接します。

朝起きておはようと声をかけ、今日はどんな服着ようか~などと、たわいのないことを話しかけます。

 

私の場合、イメージするウニヒピリはなぜか黒人と日本人のハーフのような子供で(私は生粋の日本人)、そのイメージの子に対し、話しかけるのです。

人によっては妖怪のような映像が出てくる方もいるかもしれません。

 

でも、いいんです。空想だろうが、気のせいだろうがなんだろうが、ウニヒピリを思って出てくるイメージ映像。それが自分の子供とします。

 

そして例えば、朝起きたとき、お着替えしようか、今日はどの服着る?と言って、何パターンかの洋服を想像上でそのこに提示します。

 

そのこが選んだ服を着せ、今日はどこ行く?とか、今日はどこどこに行くんだ、などと話しかけます。

 

自分の子供と見立てて接するのです。

 

私たちは、潜在意識、要はもう一人の自分をずーっと何十年も放っておいたわけです。潜在意識という存在を認識していながらも、そこに人格や意志があることを知りませんでした。だから、放っておいたわけです。

 

潜在意識はもう一人の自分ですが、心の中では自分の子供です。

 

子供が、ずーっと親に放って置かれたら、どんな態度をとるかと想像します。

 

現実でしたら、グレる、情緒不安定になる、人格に影を落とす、などなど、健康な精神を育むことはできないでしょう。

 

いくら話しかけたり謝ったとしたって、簡単には許してくれないはずです。

 

でも、どんな人間でも、親から大切に思っていると言われ、心から何度も謝罪されたら、いつの日かかたくなな心は氷解すると思います。

 

ウニヒピリの肉声を聞いたり、その姿が見えなくても、交流が取れているという手ごたえを感じるようになったのは、ごく最近です。

 

原典ポノの記述には、「ごめんなさい、許してください」と唱えるのは危険、とありますが、それはクリーニングに関してのことで、私はウニヒピリに「今まで放っておいて、本当にごめんなさい。どうぞ許してください」ということは常々伝えています。

 

ただ、申し上げたとおり、普段のクリーニングにはその2つの言葉は使っていません。

 

私はあるとき、色々な自分の過去を思い出して、「ああ、あんなときもこんなときもずっと、私は一人ではなく、そばに自分の子供がいたんだ。それなのに、なんて自暴自棄なことをしてしまったんだろう。きっとウニヒピリは悲しんだのだろうな。

本当にごめんね。そして、いつも一緒にいてくれて、本当にありがとう」と話しかけたら、涙が出てきたのです。

 

それは、ウニヒピリが私の問いかけを聞いてくれたと感じた瞬間でした。

 

私は最近、ウニヒピリに心から感謝をしているので、そのことを伝えます。

 

すると、勝手に涙が出てきたり、心が突如晴れやかになることが何度かありました。

 

話しかけられるのを嫌がっているようなら、そっとしておく。

話しかけたくないと自分が思うなら無理に話しかけない。

 

とにかく、ご自身の感覚にもとづいて接することが大事だと思います。

 

そして、一番大切なのはウニヒピリに<心から感謝すること>。

 

それができなければ、過去に何かで頑張った自分を褒めてあげる。

 

ウニヒピリ=自分ですから。

 

これは私の体験ですが、心からの謝罪、心からの感謝は、ウニヒピリが本当に喜んでくれたと感じました。

 

かなさん、私もウニヒピリという存在を知るまで、ただ4つの言葉を唱えているだけでした。

 

ウニヒピリと交流を持たなければクリーニングは意味がないと思われているかもしれません。私もそうでした。

 

慰めではなく、言葉を唱えるだけでもクリーニングは確実にされていると思います。

言葉を唱えているだけの時、好転反応のようにいろんなことが立て続けに起こりましたから。

 

ヒューレン博士の提唱するウニヒピリとの交流のとり方を知りたい方は、私の過去ブログに<ウニヒピリとのかかわり方>というタイトルでアップしておりますので、ご参照まに。

 

 

 

 

 

 

 

 

  

生きることが楽しい

最近、生きていることがとても楽しいのです。

一年前では考えられません。去年の今頃は、うつ病で、毎日死にたいと泣いていたのですから。生きることが辛くて辛くて、現実を忘れられる睡眠だけが楽しみでした。

 

よく、うつ病は眠れないといいますが、眠りすぎという鬱の症状もあり、休みの日には15時間以上寝ているときもありました。

 

私はクリーニング方法として、以前は4つの言葉を唱えていましたが、原典オポノポノにも4つの言葉 は危険と記述しており、4つの言葉をとなえていると、心は日に日に重みを増してきたこともあって、「ありがとうございます、愛しています、ありがとうございます、感謝します」に変えました。

 

そして何より、ウニヒピリと呼ばれる自分自身への語りかけの時間を増やすようにしました。

 

語りかけても肉声として返答があるわけでもないし、肉眼でその存在がみえるわけでもないので、交流としては一方通行なのですが、語りかけの時間がふえると、「あー、私は一人ではなく、もう一人自分がいるんだなあ。今まで気づかなくてごめんね。いつも一緒にいてくれて、本当にありがとう」と心から感謝できるようになりました。

 

そしてその感謝を、常に伝えるようにしています。

 

それからですね。だんだんと自分の心境が変わってきたのは。

 

先行きが不安でたまらなかった将来への絶望感もなくなり、嫌々していた仕事も楽しくてしかたがなくなってきました。

 

お店も、じんわーり忙しくなっています。

 

色々と細かい心配事はありますが、とにかく生きていることに感謝ができるようになりました。

 

ただ、今日タレントの松居一代の資産が100億円以上と聞いて、果てしなく羨ましく思えて、私たち夫婦はこんなに働いているのに・・・とがっくりきてしまいましたけどね。

 

ポノは、クリーニングも大切だと思いますが、ウニヒピリと交流を持つことが、最重要だと痛感しています。